ケータイ辞書JLogosロゴ 田名部村(近代)


青森県>むつ市

 明治22年〜31年の下北郡の自治体名。田名部・関根・奥内・中野沢の4か村が合併して成立。旧村名を継承した4大字を編成。役場を田名部に設置。明治22年の戸数887・人口5,297(下北郡統計書)。同24年の戸数526・人口4,945,厩302,学校4,水車16,船167(徴発物件一覧)。同23年田名部税務署が開庁し,同24年には郵便電信局が開設された。このほか郡役所・警察署・公立田名部病院などの官衙が置かれ,商業が発達していた。農業面においては,天明・天保の凶作以来,稲作は危険であるとして水田は全部稗が植え付けられていたが,明治維新以降は再び稲作が開始され,徐々にその作付面積を増やしていった。明治22年の作付反別は米田67町余・稗田272町余だったのに対し,同23年には米田130町余・稗田210町余と大いに伸び,さらに同33,34年頃にはその割合が米田6割・稗田4割と逆転した。こうした中で,明治30年頃には津軽地方から農家が移住して開墾に従事し,水田に全部稲を作付けして立派に収穫をあげている。また,宇曽利山(恐山)では,明治初期から硫黄の採掘が行われていたが,同26年三井鉱山合名会社が宇曽利山鉱業を設けて採掘を開始し,同31年まで続けられた。この時,採掘のために三途川の落口が切り下げられ宇曽利山湖の水面が低下した結果,亜硫酸ガスの噴出量が増加し,湖周辺の樹木が枯れてしまったという(田名部町誌)。同32年1月1日町制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7251467
最終更新日:2009-03-01




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