ケータイ辞書JLogosロゴ 多宇末井(中世)


青森県>青森市

鎌倉期に見える地名「吾妻鏡」建久元年2月12日条に「而於外浜与糠部間,有多宇末井之梯,以件山為城墎,兼任引籠之由風聞」と見える文治5年奥州合戦で平泉藤原氏が滅亡した直後,同年12月藤原泰衡の郎従大河兼任が鎌倉幕府の直接支配に反対して反乱を起こした翌年正月幕府軍は兼任軍を栗原一ノ迫・平泉衣川で破り,逃亡した兼任軍は外浜と糠部【ぬかのぶ】の間の当地に城郭を構えたが,幕府軍の攻撃により敗北したなお,「有多宇末井之梯」の部分を「有多宇末井の梯」と読む説もある現在の青森市浅虫と久栗坂の善知鳥崎【うとうまい】(烏頭前)に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7251637
最終更新日:2009-03-01




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