ケータイ辞書JLogosロゴ 斗内村(近世)


青森県>三戸市

 江戸期〜明治22年の村名。三戸郡のうち。盛岡藩領。三戸通に属す。村高は,「正保郷村帳」544石余(田267石余・畑277石余),「貞享高辻帳」680石余,「邦内郷村志」1,120石余(うち給地1,072石余),「天保郷帳」1,247石余,「天保8年御蔵給所書上帳」1,129石余(御蔵高215石余・給所高914石余),安政3年「三戸通神社仏閣地名書上帳」1,140石余。「安政高辻帳」1,000石余,「旧高旧領」1,176石余。「仮名付帳」には枝村として豊川村・袴田村が記される。「邦内郷村志」では家数265,本村を除く集落別内訳は斗内村67・沢田15・中堤20・中平3・森3・天満3・長斎4・辻ケ平2・別当沢8・野中9・太鼓森2・高野館7・田畑4・館2・椛木10・野月4・毒沢14・上ノ平4・山ノ神3・柳沢4・合久保4・山畑3・段子坂1・栃ノ木1・恵光1・女滝1・天間屋敷3・鳥谷崎2・大谷地4・小渡3・大葉沢5・大志田5・立花1・夏焼5・清蔵久保3・乗上3・葉木谷地1・左手ケ平6・飛和野久保1・上屋敷2・沼之端2・黄和田久保1・釜石沢2・左寿ノ久保1・沼之久保3・栗木沢3・丹内6,馬数407,寺院は曹洞宗普門山林泉寺があり,八戸法光寺の末寺で開山は法光寺12世風山慶門大和尚。「本枝村付並位付」によれば,位付きは上の中,家数204,集落別内訳は本村57・沢田13・中堤22・中平2・天満4・長才2・辻ケ平1・野中6・高間館6・田端3・館1・椛ノ木9・野月4・毒沢10・上ノ平4・柳沢4・合久保3・楽ケ久保3・斗内沢1・葉ノ木谷地1・乗上1・先祖久保2・夏焼6・山端3・立花1・大羽沢5・小渡り1・段子坂2・大谷地3・下丹内5・沼久保2・長斎2・栗木沢1・扨首久保6・日和久保3・茨沢2・大舌3。安政3年「三戸通神社仏閣地名書上帳」では家数56・人数196。地内の西端,鹿角街道北側の崖上には黒滝不動(現黒滝神社)があり,別当は威徳院であった。威徳院は二戸・三戸・九戸3郡内の本山派山伏23人と羽黒派山伏21人を支配した「三戸年行事」を勤めていた(岩手県史)。ほかに斗内千人塚,天明3〜4年の大飢饉の餓死者千名を葬った塚,天明5年建立の供養碑などがある。明治元年弘前藩取締,以後黒羽藩取締,九戸県,八戸県,三戸県,斗南【となみ】藩,斗南県,弘前県を経て,同4年青森県に所属。明治初年の家数は本村68・中堤24・高間館21・大谷地20・大羽沢7・団子坂4・大舌8・夏焼7・山畑5・葉ノ木谷地3・毒沢17・左手ケ平5・野月6・柳沢10・椛ノ木14・松山4・伝馬屋敷5・斗内沢2・大石6・乗上3・沢田22・茨沢7・外山1・差ケ久保5・沼久保7・大明神4,地味は中位で畑勝ち(国誌)。明治11年斗内小学が開校し,同12年の生徒数43,うち男38・女5(明治12年公学校表)。同年の「共武政表」によれば,戸数は本村78・沢田24・中堤20・高間館17,人口は本村373・沢田127・高間館100,寺院は本村1,学校は本村1,水車は本村2・沢田2・中堤1,牛は本村2,馬は本村115・沢田42・中堤29・高間館30,物産は本村が米・麦・雑穀・麻糸・鳥類,ほかはともに米・麦・雑穀・木材。同22年斗川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7251691
最終更新日:2009-03-01




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