ケータイ辞書JLogosロゴ 西大工町(近世〜近代)


青森県>弘前市

江戸期〜現在の町名明治初年〜明治22年は弘前を冠称江戸期は弘前城下の1町町人地城郭の西に位置する東の新町と並行して南北にのび,西は平岡町・駒越町に接し,南は樋ノ口村,北は岩木川原に接する町名の由来は,大工の居住にちなみ,元大工町に対すると考えられる寛文13年の弘前中惣屋敷絵図には紺屋町の新派町として町割りされ,63軒の町屋がある「津軽歴代記類」によれば,延宝2年と天和2年の岩木川掘替え工事によって「西大工町近辺之川原地悉く町割となる」とある延宝6年の弘前町方屋敷割には,大工組頭用右衛門ほか7軒の大工と木挽1軒・町屋2軒があり,当町の北側は「西ハタチヲケヤ丁」とあり,桶屋組頭太右衛門ほか桶屋が11軒・大工2軒・木挽2軒・町屋2軒が居住したまた南側は「西大工ハタチ町」とあり,大工組頭次五右衛門ほか大工12軒・畳刺1軒・木挽1軒・町屋6軒が見える享保4年頃の町屋数円では町屋68軒・大工4軒・油屋1軒・武家屋敷1軒がある宝暦6年の荒町支配町屋鋪改大帳によれば,町屋58軒と百姓屋敷1軒がある明治初年の「国誌」によれば,戸数95,町域は「長五丁五間・巾四間」とあり,町の状況については「貫属半は商家日雇等あり」と見える明治22年弘前市に所属明治以降も住宅,津軽塗などの工人の町として現在にいたる昭和3年の賦課戸数59世帯数・人口は,同25年94・451,同50年136・467,同55年136・434
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7251918
最終更新日:2009-03-01




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