ケータイ辞書JLogosロゴ 野尻郷(中世)


青森県>青森市

 南北朝期〜戦国期に見える郷名。外浜のうち。建武2年正月26日の北畠顕家下知状写に「可令早工藤中務右衛門尉貞行領知,津軽鼻和郡目谷郷〈工藤右衛門尉貞祐法師跡〉外浜野尻郷事,右為勲功賞所被宛行也」と見え,鎌倉末期に当郷は北条氏得宗領であったと思われ,元弘没収地となったのち工藤貞行に勲功の賞として充行われた(新渡戸文書/岩手県中世文書上)。工藤貞行は,元弘3年末から建武元年にかけての大光寺合戦に朝廷方として参加して,幕府残党を討ち,この功により当郷などが与えられたのであろう。貞行の所領は,その後家しれん尼と南部信政に嫁した加伊寿御前に伝領されて,南部氏の支配下に入った。正平15年6月5日北畠顕信は南部茂行に当郷を安堵している(盛岡南部文書/岩手県中世文書上)。天文年間の津軽郡中名字には東卒都浜のうちとして「野尻」と見える(津軽一統志/県史1)。なお,現在宇野田に野尻館跡があり,工藤氏や南部氏にかかわるとみられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7252008
最終更新日:2009-03-01




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