ケータイ辞書JLogosロゴ 樋口村(近世)


青森県>弘前市

 江戸期〜明治9年の村名。津軽郡鼻和庄のうち。弘前藩領。村高は,「貞享郷村帳」172石余,「貞享4年検地水帳」136石余(田55石余・畑屋敷80石余),「寛保高辻帳」172石余,「天保郷帳」189石余,「旧高旧領」289石余。北は弘前城下駒越町,南は常盤坂村に接する。「貞享4年検地水帳」では小字に「宮本・南袋」があり,反別は田4町8反余,畑屋敷14町6反余(うち屋敷1反余)の合計19町4反余。なお,同帳に屋敷持ちは3名しか見えず,城下からの入作者によって経営された田畑が多かったと考えられる。元禄3年には駒越組に属し,村位は上(平山日記)。寛政10年6月当村の領域内および城下誓願寺裏で岩木川の土居が決壊して大きな被害をうけた。文政13年8月にも当村の上流で岩木川の土居が決壊して城下の西部地区(通称下町)が大被害をうけた(津軽歴代記類)。神社は村の南端に祭神伊邪那岐命・伊邪那美命・速玉男命・事解男命・罔象女命を祭神とする熊野宮がある。同宮は,慶長20年に2代藩主津軽信枚が紀伊熊野那智大社の分霊を移し,熊野三所大権現として建立したもので,別当を那智山袋宮寺としたが,同寺は明治4年の神仏分離で弘前城下新寺町報恩寺境内の無量院へ移った。明治4年弘前県を経て,青森県に所属。明治初年の「国誌」によれば,戸数40。同9年駒越村の一部となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7252160
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ