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福山村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
福山村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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福山村(近世) 江戸期~明治7年の村名玉名郡のうち菊池川支流の繁根木【はねぎ】川上流,筒ケ岳東麓に位置する石尾村から分村して成立(郡村誌)熊本藩領村高は「旧高旧領」105石余なお,慶長13年の石貫村之内福山村検地帳(県立図書館蔵文書)では,田5町9反余・畠12町4反余,家数18,居屋敷7,人数18,牛4・馬1寛永16年の地撫帳(同前)によると,田8町8反余・山畠1町9反余,作人7宝暦13年の下名寄帳(同前)では田畑13町6反余,高103石余,作人22文政5年の南関手永略手鑑(多田隈文書)では,竈数35・人数168,馬33,田6町5反余・畑6町8反余「肥後国誌」では南関手永に属し,高103石余,神社は白山権現社なお広福寺領文書案(広福寺文書/県史料中世1)に収められた文中2年12月13日の菊池武安寄進状案によれば,武安が広福寺に寄進した山野田畠敷地の四至のうちに「北限自新宮下大谷至清水谷福山大道矢答路井手上尾立東通筑後大道」とあり,「福山大道」は寺領の北の堺を構成していた熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年三津川村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
福山村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
福山村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」