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二日町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は三戸城下八町の1町三戸城下の中央に位置し,南は八日町・在府小路町,北は黄金橋をもって六日町,東は城山に近く在府小路町,西は熊原川にそれ...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7252296]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 二日町(近世~近代) 江戸期~現在の町名「ふつかまち」ともいう江戸期は人吉城下人吉町の一町で町人地人吉城の北,球磨【くま】川の北方に位置する町名の由来は,江戸期に当地で毎年2月2日に春の市が立ったことによるはじめ青井池の南にあった七日町・川原町と当町の3町を合わせて人吉と呼び(熊風土記/肥後国誌補遺),近世初期の人吉城下形成に際して文禄3年に九日町・七日町などとともに築かれた町で,城下では最も古い7町の1町寛政元年の私領御巡見教令には,二日町2町1間半・道幅4間3尺,横町25間・道幅2間半,屋敷数71と見える(肥後国誌補遺)明治22年人吉町の通称町名,昭和17年からは人吉市の町名となる昭和15年の世帯数107同58年末の世帯数75・人口248 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」