ケータイ辞書JLogosロゴ 本町(近世)


青森県>青森市

 江戸期の町名。青森町のうちの1町。青森開港にともない,寛永元年町場の建設が始まり,同3年本町・浜町・米町の3町が青森派として取り立てられて成立。3町は寛永11年までの10年間町役が免除された(青森市沿革史)。寛永3年には,3町あわせて家数は1,057軒であったという(津軽歴代記類)。以後,領内外より青森への移住策がとられ,町場の発達とともに新しい町がつくられた。当町は東に塩町,南に米町,西に越前町,北に浜町がある。当町は東西に長く,西側から本町上町・本町中町・本町下町に分けられ,単に上町・中町・下町とも呼ばれた。寛文11年には米町・浜町とあわせて家数306(青森市沿革史)。「貞享4年検地水帳」によれば,上町の屋敷数49,屋敷地の面積は1町9反6畝歩,この分米は17石6斗1升,中町の屋敷数31,屋敷地の面積は1町6反3畝13歩,この分米は16石3斗4合,下町の屋敷数52,屋敷地の面積は2町3反歩,この分米は18石3斗9升6合で,合計家数132,屋敷の面積5町8反9畝13歩,この分米52石3斗1升となる。同年の上町名主は善兵衛・久右衛門・善左衛門・新左衛門,中町名主は円兵衛・清兵衛,下町名主は六左衛門・作兵衛・次郎兵衛・万右衛門で計10人であった(青森市沿革史)。町年寄の佐藤理右衛門・村井新助も本町に住み,青森町の行政を管轄支配していた(青森市町内盛衰記)。享保10年の青森町惣家別相改帳(八木橋文庫蔵)によれば,当町に130軒の町家が見れられる。正徳4年の調べでは,播磨屋三郎兵衛をはじめ22軒の酒造業者がいた(青森市沿革史)。宝暦4年頃に大町と改称(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7252360
最終更新日:2009-03-01




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