ケータイ辞書JLogosロゴ 松神村(近世)


青森県>岩崎村

 江戸期〜明治22年の村名。津軽郡鼻和庄のうち。弘前藩領。村高は,「正保高帳」3石余,「貞享郷村帳」100石余,「貞享4年検地水帳」39石余(田35石余・畑屋敷4石余),「寛保高辻帳」100石余,「天保郷帳」100石余,「旧高旧領」87石余。元和7年,北村久左衛門に「松神派並大間越派」の黒印状が出されたと伝え,元和年間には開村していたと考えられる(津軽興業誌)。「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「はま松」があり,反別は田5町余・畑屋敷8反余,海浜には塩竃3か所があり,製塩が営まれていた。また,田は上田〜下々田まで,畑は上畑・下畑・下々畑が設定されている。元禄3年には赤石組に属し,村位は下(平山日記)。集落は海岸線沿いに南北に発達し,平地は少ない。戸数は,享和2年28(伊能忠敬:測量日記),天保9年31・嘉永2年29(西津軽郡史)。松浦武四郎は「東奥沿海日誌」の中で当地について,「神魚(鰰カ)漁事の時のミ浜にて業す。其余ハ村中に田地乏敷輩のミ釣を垂,又沖曳網等をもて雑魚を取りて生業とす。小商人一軒,紙,草鞋を売」と記している。また明治初年の「国誌」には「村居は平夷の地なれとも卑瘠にして且田畠少く,春はニシン,秋は鱒を捕て産業とす」と見える。神社は村の南端に武甕槌神社があり,武甕槌神を祭神とする。ほかに「安政2年神社書上帳」には毘沙門宮と見え,正保年間の再建とされる。なお,「国誌」には当村の武甕槌神・神明宮がともに黒崎村の熊野宮の相殿に合祀されているが,その後復社した。明治4年弘前県を経て,青森県に所属。同11年西津軽郡に属す。明治初年の戸数34(国誌)。明治12年の「共武政表」によれば,戸数43・人口190(男100・女90),学校1,馬25,物産は鯡・鰰・鮑・海苔。同22年黒崎尋常小学校の松神分教場を設置。同年岩崎村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7252415
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ