ケータイ辞書JLogosロゴ 南瓦ケ町(近世〜近代)


青森県>弘前町

江戸期〜現在の町名明治初年〜明治22年は弘前を冠称江戸期は弘前城下の1町武家地城郭の南東に位置する南の土手町と並行して東西に走る道筋の町で,東は上瓦ケ町,西は坂本町・西川岸町,北は中瓦ケ町に接する慶安2年の弘前古御絵図では町割りされていないが,付近にかわら屋2軒があり,町名の由来もこれにちなみ北瓦ケ町・上瓦ケ町・中瓦ケ町に対すると考えられる寛文13年の弘前中惣屋敷絵図では不完全ながら屋敷割りがされ,14軒(うち空家1)の武家屋敷があり,町の中央から北西へ水通しがある元禄13年の弘前侍町屋敷割によれば,14軒のうち1軒が畳刺で,ほかは武家屋敷である寛政改革による藩士土着令で町内の藩士が在方へ移住したため,当町は寛政5年には御家中潰町の1つに数えられている(平山日記)藩士土着令廃止後の享和3年の御家中町割では,20軒(うち空家1)の武家屋敷があり,町屋はない明治初年の「国誌」には,南土器丁と見え,戸数15,町域は「上は上土器丁より下は坂本町に至る,長一丁四十五間,巾四間」とある明治22年弘前市に所属以後当町は住宅街として現在に至っている昭和3年の賦課戸数20世帯数・人口は,同25年21・94,同50年13・102,同55年18・99
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7252491
最終更新日:2009-03-01




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