ケータイ辞書JLogosロゴ 雲谷村(近世)


青森県>青森市

 江戸期〜明治22年の村名。津軽郡田舎庄のうち,弘前藩領。弘前藩2代藩主津軽信枚時代(慶長12年〜寛永8年)に,藩営の5牧の1つの雲谷牧が当地に置かれたという(津軽歴代記類)。それと同時に雲谷牧新田村が開かれ,これがのち雲谷村になったものと思われる(横内村誌)。村高は,「貞享郷村帳」では寛文4年以降の新田と見え172石余,「貞享4年検地水帳」36石余(畑20石余・屋敷地16石余),「寛保高辻帳」172石余,「天保郷帳」72石余,「旧高旧領」62石余。元和年間の家数18軒,天和年間の家数26軒(同前)。また,万治元年に当村の枝村として田茂木野村が開発されるが(同前),同村は江戸期を通じて当村の一部として把握されたものと思われる。ただし,「旧高旧領」では当村とは別に田茂木野村の名と村高が記載され,明治初年に当村から分村した。「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「山吹・平山・奥野・山下・牧野・平野」があり,反別は田がなく,畑6町5反余(中畑と下畑のみ)・屋敷地2町余,このほかに開発可能地(畑)120町9反余,牧15か所・897町1反余,漆木5本,永荒地(畑)6反余,脇道番所屋敷地が見える。この脇道番所は八甲田山越えをする往来人を監視する番所であろう。元禄3年には浦町組に属し,村位は下(平山日記)。宝暦9年改の御郡中郷村位付帳(弘前図書館蔵)で村位は下とある。当村は畑作と林産業を主とする山村である。雲谷牧には元禄9年に,牧雑駄17頭・自分雑駄23頭・父馬1頭がいたという(弘前市史)。しかし,天保3年に津軽坂牧以外の牧仕立が廃止され,当牧も藩営からはずされた(津軽歴代記類)。神社は,稲荷神社,八幡宮・大原野神社があったが,明治6年合子沢村稲荷神社(合子沢神社)に合祀された(国誌)。明治4年弘前県を経て,青森県に所属。同11年東津軽郡に属す。明治初年の戸数9,村況は「山足荒原の際なれは風霜強く作毛秀てす,粟稗を種ち(ママ)蔬食し,山に入て猟し,或は材薪を采り日用を弁し,僅に飢を凌ものあり」という(同前)。明治22年横内村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7252579
最終更新日:2009-03-01




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