ケータイ辞書JLogosロゴ 薬師堂村(近世)


青森県>弘前市

 江戸期〜明治22年の村名。津軽郡鼻和庄のうち。弘前藩領。享保11年の検地帳や同12年の「平山日記」によれば,同11〜12年頃に郷村改により独狐村から分村したと見えるが,「正保高帳」や「元禄郷帳」にすでに村名が見える。村高は,「正保高帳」223石余,享保11年検地帳308石余(田295石余・畑屋敷13石余),「寛保高辻帳」223石余,宝暦9年検地帳296石余,「天保郷帳」290石余,「旧高旧領」296石余。享保11年検地帳によれば,小字に「嶋田・独孤森・松ケ沢・笹元」があり,反別は田25町4反余・畑屋敷3町1反余(うち屋敷3反余),このうち田は上田から下々田まで,畑は上畑から下々畑まで設定されていた。また高杉組に属し,村位は上と見える。なお,宝暦9年検地帳によれば,「去ル酉年」に潰村になって独狐村に吸収され,宝暦9年に再び取り立てられたとあるが,「去ル酉年」とは宝暦3年と推定される。集落は西浜街道沿いに発達する。「安政2年神社書上帳」によれば,村内の神社に薬師堂が見える。現在の久須志神社にあたり,境内には応安4年銘の板碑がある。明治4年弘前県を経て,青森県に所属。同11年中津軽郡に属す。明治初年の「国誌」によれば,戸数6,村況は土地がよく肥えているため米のできがよく農業を専業としていたという。同22年高杉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7252602
最終更新日:2009-03-01




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