ケータイ辞書JLogosロゴ 姉帯(中世)


岩手県>一戸町

 戦国期に見える地名。糠部【ぬかのぶ】郡一戸のうち。戦国武士姉帯氏の本拠地。姉帯兼政の先祖は南部16代与次郎助政の次男,何某の嫡流と伝える。飯岡村1,000石・姉帯500石,都合1,500石を領知した。天正19年,兼政は九戸城に立籠り,弟兼信・伯父兼貞らは姉帯城に残って蒲生氏郷ら上方勢を迎えた。姉帯籠城の同志の輩は,樋口与五右衛門・月館左京・岩館彦兵衛・野田久兵衛・小治屋(小鳥谷)摂州・吉田門助・高館幡州・中里弾正・一戸毘沙門堂別当西法院ら,近隣の人々であった(奥南旧指録)。同年9月14日浅野長政書状には,「去朔日に,あなたい・ねそりと申城,二ケ所,直懸に責崩申候」と見える(浅野家文書)。九戸争乱後の天正20年「諸城破却書上」には,「糠部郡之内 姉帯 山城破 野田甚五郎持分」とある(野田氏は一戸南部氏の門葉)。姉帯城は馬淵川右岸の尾根上にある。南は断崖,西は谷地,東北の尾根続きに空濠をめぐらす。120m×100m。ふもとには,門前・馬場・鬼淵(姉帯家宰鬼淵兵衛の居所)などの地名を残す(南部諸城の研究)。なお,地内の高善寺は九戸政実の乱の際,焼失したという(管轄地誌)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7252833
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ