ケータイ辞書JLogosロゴ 五串村(中世)


岩手県>一関市

 戦国期に見える村名。岩井郡のうち。天正7年3月27日の葛西晴信発給の文書には「今度富沢日向守逆意,其辺野心之輩,令同心,流大門迄出馬之刻,寺崎石見守ニ打続,早速走向,無二之働,無比類候,依之,岩井郡之内五串村ニ而五千苅,沖田村ニ而三千苅,永代充行者也」とある。天正7年の富沢勢との戦いに際して,葛西晴信は戦功として伊沢郡の石川丹波守に当村の土地を給与している(平泉中尊寺地蔵堂文書)。地内字古館には五串城(別称茂庭【もにわ】城)跡がある。五串の中心部から平泉へ抜ける県道の途中にあり,東西180m・南北120m,比高25m。典型的な連郭式山城。本丸・二の丸・三の丸・空濠が残る。「仙台領古城書上」には,「本丸」東西40間・南北20間,「二の丸」は東西20間・南北30間と記されている。城主は千葉八右衛門で葛西一門の安土(平泉)城主安土日向守(升沢摂津守カ)の孫という(仙台領古城館)。この他,字山口には遠矢館,字上野【うわの】には杭丁【くいちよう】館などの館跡が残る。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7252950
最終更新日:2009-03-01




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