ケータイ辞書JLogosロゴ 伊手(中世)


岩手県>江刺市

 戦国武士伊手高屋氏の本拠地。江刺郡のうち。高屋氏は源三位頼政の後裔,本姓を及川と称する。天正末年葛西氏滅亡ののちは南部家臣となる。伊達家に仕え医術をもって知られた人物もいる。「深秘抄」(奥南旧指録)には,南部家「予参御普代並」の士として,「高屋氏 頼政の末流なり,昔葛西清重の手に属し下る,及川,下川原,小田代は高屋氏の別なり……以上江刺家人なり」と記す(高屋氏の系譜は県史2‐1,005頁・3‐136頁)。天文7年江刺美濃守信重と気仙高田千葉大膳大夫胤継の合戦が江刺郡伊手郷で行われたと伝える(気仙郡千葉大系図/県史2‐835頁)。伊手町裏の新谷城(荒谷城・古館)は伊手高屋氏の居所か。本丸跡山頂(比高80m)には荒谷神社を祀る。神社裏側には長大な空濠が残る。二の丸跡の雑木林,馬場跡が東に続く。山麓には伊手の集落と街道が走る。東西300m・南北300m。城主は及川左近。天正末年葛西氏没落の際,桃生郡神取山(宮城県)で左近は討死をした(仙台領古城館)。町裏の愛宕古館,宇津良の宇津良館(館ケ森)も近い。下伊手新山の下館は連郭式の山城。本丸跡(比高20m)には新山神社が建つ。館主不明。陣馬館は街道をへだてて下館と対峙する。水田の中の島状の丘である(比高5m)。館主不明。伊手久田(林崎)の平館も館主不明。林崎屋敷(千田氏宅)裏山の尾根上にある(比高80m)。伊手久田猪ノ子の建久館は伊手小学校に続く尾根上にある(比高80m)。平泉藤原氏の家臣,佐藤一族が建久4年に築いたと伝える。宇津良館は佐藤一族がのちに移住した新城という。伊手隅川の古館,伊手馬場崎の菊池館,上伊手地神の山谷館,伊手大中田館下の上館,伊手松木田の小野間館などの存在も知られる。いずれも館主不明(仙台領古城館)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7252953
最終更新日:2009-03-01




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