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大川(中世) 室町期から見える地名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大川(中世) 南北朝期に見える地名越後国岩船郡小泉荘のうち建武元年8月12日の色部長倫申状写によれば,大河彦次郎将長が「大河樺沢城」に籠城したため,8月10日色部長倫は守護代官原大弐房などとともにこれを攻撃し,城郭を打ち破っている(米沢古案記録草案)康永2年と推定される2月21日の藤原公房書状によれば,「小泉庄立島内大川」に役所が置かれ,和田茂実に3月11日から同20日まで30人をもって勤仕するよう命じている(反町三浦和田文書)当地は代々大川氏の本拠で,永禄11年の本庄氏の乱の際,本庄繁長の攻撃により本拠藤懸城(大川城)を奪取されたが,同12年4月乱の終息により大川長秀は帰城した(上杉家文書)年月日未詳の越後要害覚に「大川」が見える(米沢古文書集)「慶長国絵図」には「大川之町」とあり,江戸期の府屋町にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大川(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」