ケータイ辞書JLogosロゴ おさな井(中世)


岩手県>久慈市

 室町期に見える地名。久慈郡のうち。「永正五年馬焼印図」(古今要覧稿)に,「おさな井 印一遠雁并雀 雁の図別紙に有 引付ともいふ大なる大文字 次に耳しるしの事 右の耳身を副 三刀きり」とある。室町期,長内の牧から京進された馬の焼印・耳標のことが知られる。長内(小山内)氏ははじめ南部氏の家臣にして,「異聞録」に「右京亮光信を津軽に遣はす際,附従ふ」という。「一統志」には,「元亀二年五月,南部高信自害しければ,為信公,此競に乗じて,小山内讃岐守を討取べし」とある。讃岐の親を永春法師という(姓氏家系大辞典)。長内の蛭子神社には室町期文明13年の棟札がある。「奉造栄金峯山社壇一宇」として,「大檀那南部信濃守嫡子右京助久信」の名が見える。信濃守は八戸南部の当主,信長か。同じく,薬師堂の元亀2年棟札にも,「大檀那源朝臣南部内信濃守信長」「小檀那小山朝臣小山内六郎」の名が見える。小山内六郎が当地の人であることはいうまでもない。信濃守の家臣か。薬師堂西光寺は「大同二年田村将軍建立」とされる(九戸地方史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7253235
最終更新日:2009-03-01




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