ケータイ辞書JLogosロゴ 上鱒沢村(近世)


岩手県>宮守村

 江戸末期〜明治22年の村名。閉伊【へい】郡のうち。盛岡藩領。明治元年松本藩取締,以後江刺県,盛岡県を経て,同5年岩手県に所属。同12年西閉伊郡に編入。村高は「旧高旧領」537石余。「貞享高辻帳」「邦内郷村志」「天保郷帳」「安政高辻帳」などには鱒沢村一村として見え,幕末〜明治初年に鱒沢村が上鱒沢・下鱒沢の2か村に分かれて成立したものと思われる。ただし,「管轄地誌」では貞享年間頃に鱒沢村が上鱒沢村・下鱒沢村に分かれたという。明治9年鱒沢学校が開設,生徒数67(男37・女30)。同12年の村の幅員は東西29町余・南北32町余,税地は田51町余・畑106町余・宅地11町余・切替畑5反余・荒地2町余など173町余,戸数102・人口493(男257・女236),鱒沢学校の生徒数67,物産は馬・鶏・米・大豆・小豆・大麦・小麦・粟・稗・蕎麦・梨子・馬沓・束縄・草鞋など(管轄地誌)。明治15年の上鱒沢村・下鱒沢村を合わせた戸数272・人口1,398,馬539(宮守村誌)。同17年当村・下鱒沢村・上綾織村・下綾織村・小友村が,上鱒沢外四ケ村戸長役場の管轄となる。同22年鱒沢村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7253454
最終更新日:2009-03-01




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