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栗林村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7253623]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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栗林村(近世)

 江戸期~明治22年の村名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

栗林村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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栗林村(近世)
江戸期~明治8年の村名豊後国日田【ひた】郡大山荘のうち筑後川(大山川)右岸の谷あいに位置するはじめ幕府領で佐伯藩預地,元和2年日田藩石川領,寛永10年幕府領,うち同10~16年は木付藩預地,寛文5~6年は肥後熊本藩預地,天和2年日田藩松平領,貞享3年からは幕府領で大山筋6か村に所属村高は慶長6年の「予州替地御知行所」480石(佐伯藩史料),翌7年の「豊後国玖珠郡日田郡御倉入目録」では487石余,物成は168石余,うち米64石余・豆60石余など(同前)「正保郷帳」308石余,うち田93石余・畑215石余,旱損がち「見稲簿」401石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに409石余延享3年代官岡田庄太夫の暴政を日田郡・玖珠郡の13か村が江戸表に直訴した際,庄屋ほか3名が処罰される天明6年の産物は酒100石余,櫨71斤,杉原36束,中折170束,広形540束,煙草1,070斤(懐中問答記)文化8年6月29日伊能忠敬が当村を測量(九州測量日記)天保9年の「明細帳」では家数108,うち酒屋1,人数488,うち作間稼ぎの紙漉1・大工2・鍛冶1・紺屋1,牛59明治4年大分県に所属同8年小五馬【こいつま】村・続木村・高取村の一部と合併して東大山村となる現在の日田郡大山町大字東大山のうち...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

栗林村(近世)
 江戸期~明治8年の村名...

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栗林村(近世)
江戸期~明治8年の村名阿蘇郡のうち九州山地西麓,緑川上流左岸,矢筈岳の南東に位置する集落は山肌を縫うようにして点在熊本藩領村高は「旧高旧領」9石余「肥後国誌補遺」では菅尾手永に属し,高8石余文政元年頃の肥後藩手永別村名(永青文庫)は,小村に「ゆづりは村」を記す「国郡一統志」は寺社に満福寺・稲積明神・毘沙門を記すが,いずれも現在は小祠があるのみ鍾乳洞窟穿の洞窟があって緑川の水源はこの穴から流れ出るといわれ,緑の宮(窟穿神社)の神殿礎の間より流れるという祭礼の行われる9月21日以前に洞窟に人が入ると大風が吹き農作物に被害を及ぼすといい,その日以前に参詣する者はほとんどいない永正10年菊池武経が島津・相良両氏の助力を得て岩尾城を攻撃したため,大宮司阿蘇惟豊は緑川まで後退,この窟穿の洞窟に潜み難を逃れたと伝える永正14年甲斐宗運を軍師とし岩尾城を奪回し阿蘇家全盛の基礎を築いたという熊本県を経て,明治5年白川県に所属明治4年の光円寺檀家調(光円寺文書)では同寺の檀家戸数29同8年緑川村の一部となる...

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栗林村(近世)
江戸期~明治6年の村名日向国臼杵【うすき】郡のうち小林ともいう九州山地中央部の山間地,耳川の支流不土野川上流の山麓に位置する対岸は永山村また不土野村の東に接する椎葉山【しいばさん】84か村の1つ元和5年から幕府領(はじめ肥後国阿蘇神社の監督下に預けられたが,明暦2年からは肥後国人吉藩の預り支配地となる)人吉藩の椎葉山支配組織四組のうち向山【むこやま】組に属した元禄11年「日向国覚書」には,村名は見えるが村高の記載はない村高は,寛延元年には5斗余(日向国臼杵郡椎葉山村々様子大概書/明治大学蔵内藤家文書),「天保郷帳」では7斗余,慶応3年にも7斗余(同前)「日向国臼杵郡椎葉山村々様子大概書」(明治大学蔵内藤家文書)によれば,寛延元年の村況は,反別は畑4反余・家数8,人数は男20・女18同じく慶応3年の村況は,反別は畑6反余,家数6,人数は男9・女14明治元年日田県に属し,同4年人吉藩,人吉県,美々津県を経て,同6年宮崎県に所属明治6年向山村の一部となる...

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栗林村(近世)
江戸期~明治12年の村名蒲原郡のうち刈谷田川左岸の自然堤防上もとは三右衛門興野のうちで新発田【しばた】藩領であったが,寛永5年同地の一部(1石余,2軒)が同藩の分知家である旗本溝口又十郎宣秋(切梅陣屋)知行となり,元禄7年同家の知行が上知されたため同氏知行分は幕府領となり,以後新発田藩と幕府の相給となるが,この旗本溝口宣秋知行=幕府領分が,江戸中期以降栗林村として三右衛門興野から分村し,当村が成立したただし,「元禄郷帳」「天保郷帳」では三右衛門興野一村として記され,「旧高旧領」において三右衛門興野とは別に当村名が記載されるなお,江戸前期の史料にたびたび見える「栗林村」は三右衛門興野の別称で,当村名はそれを引き継いだものといえよう村高は,「旧高旧領」1石余明治5年の戸数2・人口14(中之島郷土史)同12年上栗林村と改称...

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栗林村(近世)
江戸期~明治8年の村名豊後国大野郡奥嶽郷のうち岡藩領大野川の支流奥嶽川の上流左岸に位置する奥嶽組に所属村高は「正保郷帳」75石余,うち田18石余・畑56石余,村内に茅山がある「見稲簿」同高寛政3年71石余・免5ツ4分,村位は下「天保郷帳」75石余,「旧高旧領」97石余明治4年大分県に所属同8年小仲尾村ほか4か村とともに小原【おはる】村に合併現在の大野郡緒方【おがた】町大字小原のうち...

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