ケータイ辞書JLogosロゴ 小軽米(中世)


岩手県>軽米町

 戦国期に見える地名。糠部【ぬかのぶ】郡九戸のうち。戦国武士小軽米氏の本拠地。小軽米氏は九戸氏の分流。左衛門佐久俊(一寄斎)は天正19年九戸政実の乱に与せず,南部方に属した。南部信直の書状(同年5月16日・同月18日・7月12日など)に,小軽米の番(守備)のことがたびたび見える(軽米町誌・県戦国期文書)。当地が九戸城攻撃の戦略的要地であることが知られる。左衛門佐久俊の長男,直連は七戸野辺地城代となり,3,000石を給される。次男直久は姓を改め江刺家瀬兵衛を名乗った(小軽米氏の系譜は県史3‐503頁・軽米町誌)。慶長18年北氏の検地による小軽米村の石高は508石余(北家文書)。小軽米城は中学校の裏,盆地を一望できる段丘上にある。全周に濠をめぐらす。120m×150m(城郭大系2・軽米町誌)。天正20年「諸城破却書上」には「糠部郡之内古軽米 山城破却 小軽米左衛門佐持分」と記す。今は館公園となる。小軽米盆地の西境,雪谷川崖のクズ館も小軽米氏の持分か。20mの絶壁上にあり,北・西は二重の濠をめぐらす(同前)。なお,米田の月山神社は文禄4年に小軽米氏の建立と伝え,外角地にある曹洞宗鶏頭山実相寺も文禄4年の開山という(軽米町誌)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7253706
最終更新日:2009-03-01




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