ケータイ辞書JLogosロゴ 達曽部(中世)


岩手県>宮守村

 室町〜戦国武士達曽部氏の本拠地。遠野保のうち。達曽部氏は阿曽沼氏の家臣。達曽部・細越・駒木の遠野三家の本姓は多田。源頼親の末裔とされる(奥南旧指録)。室町期の永享9年(応永19年とも),気仙郡一揆に呼応して,大槌・達曽部・宮守の兵どもは阿曽沼の横田城を攻め,南部守行の軍勢と戦った(祐清私記)。同じく室町期の宝徳2年,綾織谷地館の宇夫方氏が気仙勢の攻撃をうけた時には,鱒沢・宮森(宮守)・大迫【おおはさま】・田曽部(達曽部)らの救援によって事なきを得た(宇夫方家譜)。阿曽沼氏滅亡の後は南部家に仕える。宿北裏の達曽部館は達曽部光俊の居所と伝える。独立丘陵上にある平山城。150m×150m。3〜4段の帯郭,空濠などが残る。西の崖下は宿場町(城郭大系2)。城東の八幡宮には慶長13年,駒場の地神の宮にも同18年の棟札があり,「領主多田弥兵衛」と記されていたという(邦内郷村志)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7254150
最終更新日:2009-03-01




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