ケータイ辞書JLogosロゴ 長興寺(中世)


岩手県>九戸村

 戦国武将九戸氏の本拠地。糠部【ぬかのぶ】郡九戸のうち。当地の大名館は九戸政実の父(信仲か)の居館と伝えられる。九戸政実が鹿角方面の戦功によって二戸数郷を与えられ,二戸福岡の九戸城(白鳥城・宮野城・福岡城とも)に本拠を移したのは永禄12年の頃とされる。曹洞宗長興寺は九戸氏の菩提所。文亀元年加賀国宗徳寺大陰恵善の開山と伝える。江刺家長徳寺・伊保内円通寺などを末寺とする。天正19年九戸政実の降伏を斡旋した長興寺4世薩天和尚の活躍は有名である。本尊の聖観音像は鎌倉末期の作。【60cm】の坐像。山門左手の大銀杏は九戸政実の手植と伝える。九戸家23代信仲(花叟春禅定門神儀)の位牌も残る。大名館は集落の南西,舌状台地の先端部にある。台地の基部を濠で区切った単郭の館。北西に八幡の小祠がある。平城。200m×40m。袖川対岸の熊野館(比高40m)も九戸氏の居所と伝える(城郭大系2)。なお,大名館跡からは縄文中期の土器が多く出土,長興寺遺跡として著名である。寺沢には,九戸政実の首塚と称される石碑が残っている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7254206
最終更新日:2009-03-01




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