ケータイ辞書JLogosロゴ 鱒沢(中世)


岩手県>宮守村

 室町〜戦国武士鱒沢氏の本拠地。遠野保のうち。鱒沢氏は阿曽沼氏の一族。鱒沢氏の始祖,守綱は阿曽沼光綱の次男,鱒沢・小友の2村を領し,上町の館を居所としたという。室町期の明応8年「薄衣状」にも,鱒沢越前守(守綱)の名が見える。気仙の大原・世田米などの諸氏と一揆を結んだとある。天文の末年には,鱒沢長門守(守国)が葛西晴胤の書状を受け,江刺方面の出兵を請われている。鱒沢左馬助広勝の慶長5年には,南部氏と結んで反逆を企て,阿曽沼の当主,孫三郎広長を気仙方面に追放した(阿曽沼興廃記など)。広勝の子,忠右衛門は南部家の大身侍となったが,謀反の疑いによって誅殺された(鱒沢氏の系譜は県史3‐414頁)。鱒沢館は長泉寺の裏山の尾根上にある。斜面に階段上の平坦地7〜8段ほどを連ね,その全体を空濠で囲む。丘陵基部の空濠・内濠・腰郭なども残る。猿ケ石川流域では最大規模の山城。300m×200m。比高110m。城下の上町は大いに栄えたという。天正20年「諸城破却書上」には,「増沢 山城 浅沼忠次郎持分」と見える。横田・板沢両城とは違い,当城だけが破却を免れたことが知られる(城郭大系2)。長泉寺は天正2年左馬助広勝の創建と伝える。上鱒沢鳴沢安部坊跡には中世の板碑がある(岩手の歴史論集)。下鱒沢宇堂の宇堂館,同じく向落合の落合館の館主は不明。同じく字陣ケ森の高館は面懸左衛門の居所と伝える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7254897
最終更新日:2009-03-01




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