ケータイ辞書JLogosロゴ 鱒沢村(近世)


岩手県>宮守村

 江戸期の村名。閉伊【へい】郡のうち。盛岡藩領。享保20年遠野通に属す。寛永4年から遠野南部氏の知行地。村高は,「正保郷村帳」330石余(田158石余・畑172石余),「貞享高辻帳」413石余,「邦内郷村志」「天保郷帳」ともに1,000石余,「安政高辻帳」803石余。寛永4年の遠野南部氏の当村における知行高は731石余(県史5)。「邦内郷村志」では,家数289,馬608,当村には上町・上山のほか44集落が見える。「本枝村付並位付」によれば,位付は上の中,家数276,集落別内訳は,実石18,新張4・高館16・瀬ケ淵9・神子22・上野古館16・鳴沢15・沢田17・凌沢9・細越7・坊9・舟渡11・遊井名田9・柏木15・迷岡37・杉ケ崎8・上代17・落合15・小屋敷7・黒木15。新田水堰の開削をめぐる争論のほか,安永4年には女砥森山の境争論,慶応3年には笠通山入会争論,寺沢山草刈争論など,秣場確保のための争論が起こったほか,享和3年の遠野通下郷他借年賦一揆の記録には上・下升沢の地名が見える。寺社は,上鱒沢に白山神社(鞍迫山福竜寺といい,嘉祥年間の創始)・伊勢両宮神社・月山神社(村社),臨済宗妙心寺派竜興山長泉寺,下鱒沢に雷神社・熊野神社・金刀比羅神社・稲荷神社がある。ほかに修験道の羽黒派善行院,覚善院がある。また,オシラ神信仰・10月仏信仰が伝わる。寛永12年南部領内キリシタン宗旨改人数之覚では,源五郎・金右衛門ほか4名の名が見える。地内には,鱒沢金山・脇栗金山・水沢金山・上台河原みよし金山がある。文政11年の菊池林文書によると,地質は岩交り赤ゆな(赤砂利)地。幕末頃,上鱒沢に僧の下田文啓が寺子屋を開いた。「旧高旧領」や明治初年の記録には,当村は上鱒沢村・下鱒沢村の2か村に分かれて見え,江戸末期〜明治初年に当村は上・下両村に分村したものと思われる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7254898
最終更新日:2009-03-01




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