ケータイ辞書JLogosロゴ 綾里村(近世)


岩手県>三陸町

 江戸期〜明治22年の村名。気仙郡のうち。仙台藩領。村高は,寛永検地72貫余(田23貫余・畑48貫余),「元禄郷帳」647石余,「天保郷帳」724石余,「旧高旧領」460石余。明和9年の人数320(封内風土記)。寺院には慶長16年在天和尚の開山という曹洞宗常松山長林寺と,もと洪秀菴と号して寛永19年に改めた同宗福田山竜岩寺がある。綾里岬に番所1か所が設置されており,番人は今泉足軽が1人ずつ30日交代でつとめさせ,旅御扶持方2人分を大原村年貢米から年の暮に翌1か年分直渡ししたという。また立石山は風荒の場所で積雪などを考慮して3〜8月につとめさせ,八ケ森山には9〜2月につとめさせたという(今泉大庄屋異国船方御用留写)。海上掟の制札が残されている(気仙郡古記)。明治元年松本藩取締,以後江刺県,一関県,水沢県,磐井県,宮城県を経て,同9年岩手県に所属。同13年の村の幅員は東西約2里・南北約1里25町,税地は田21町余・畑172町余・宅地19町余・製塩場1反余の計213町余,戸数402・人口2,280(男1,132・女1,148),牛85,馬328,舟172(商船14・漁船158),綾里学校の生徒数76(男71・女5),職業別戸数は農業248・商業15・雑業127(管轄地誌)。同22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7255197
最終更新日:2009-03-01




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