ケータイ辞書JLogosロゴ 網地浜(近世)


宮城県>牡鹿町

 江戸期〜明治22年の村名。牡鹿郡遠嶋十八成【くくなり】組大肝煎扱のうち。江戸期を通して藩蔵入地。元禄期の村の状況は「牡鹿郡万御改書上」によれば,村高45石余(元禄郷帳では32石余),人頭49・人数437(うち男259・女178)。網地浜在家東西2町・南北50間,池ノ浜在家東西2丁40間・南北45間。当浜は仙台藩の流刑の地となっていた。神社は神明宮など5社,仏閣は弁才天堂。また寛永年間に慈光不昧禅師によって開かれたと伝える潮音堂がある。村寺は大永年間開山と伝える臨済宗正福山常春寺,持高24文,宮城郡松島瑞巌寺の末寺。口碑によると,はじめ天台宗で吟山和尚の開山と伝える。7代目の時に火災に遭い,しばらく無住の寺であったが,雲居禅師が弟子をもって開祖となし,臨済宗としたという。「封内風土記」の戸口85,主に漁業を行っていた。「天保郷帳」の村高50石余。明治元年高崎藩取締地,以後,桃生【ものう】県・石巻県・登米【とめ】県・仙台県を経て,同5年宮城県に所属。同6年網地小学校開校,長渡【ふたわたし】を支校とする。同22年牡鹿郡鮎川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7255261
最終更新日:2009-03-01




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