ケータイ辞書JLogosロゴ 雨生沢村(近世)


宮城県>古川市

 江戸期〜明治8年の村名。栗原郡のうち。村高は「元禄郷帳」382石余,「天保郷帳」では595石余,「安永風土記」によれば,村高は田代54貫余・畑代5貫余で計59貫余(うち蔵入12貫余・給所46貫余),人頭31・家数36(うち水呑6)・人口184・馬34。用水は溜池に依存し,堤10・堰9を数えた。神社に村鎮守の神明宮,三社権現社・館大明神社・稲荷社がある。文政9年では田454石余・畑28石余,他に新田畑112石余があり,うち田128石余・畑8石余,新田畑26石余は蔵入地,残余は片平五郎兵衛・増田菊之助・佐藤友輔など10氏の知行地に細分されていた。明治元年宇都宮藩預り地,以後,栗原県・登米【とめ】県・一関県・水沢県・磐井【いわい】県に所属。江戸期より馬の産地として知られ,隣接の高清水【たかしみず】で開かれる馬市に出され,村人の重要な収入源で,明治4年には村単独の二歳駒のリストも作られた。同6年の戸数34・人口285,馬56(古川市史上)。同8年北宮沢村と合併し山田村の一部となり,同22年以降は山田村が清滝村,次いで古川市の大字となったが,昭和51年地番変更により,江戸期の旧雨生沢村域をもって現行の古川市雨生沢となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7255288
最終更新日:2009-03-01




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