ケータイ辞書JLogosロゴ 鮎川浜(近世)


宮城県>牡鹿町

 江戸期〜明治22年の村名。牡鹿郡遠嶋十八成【くくなり】組大肝煎扱のうち。江戸期を通して藩蔵入地。元禄期の村の状況は,「牡鹿郡万御改書上」によれば,村高69石余(元禄郷帳では50石余),海上高32石余,人頭33・人数433(うち男259・女174)。鮎川浜在家東西58間・南北3町40間,町頭に御札場があった。村寺は曹洞宗宝寿山東泉院で十八成浜大金山陽山寺末,慶長18年烏山和尚の開山と伝える。他に真言宗如意輪山観音寺・同金華山大金寺。肝煎又兵衛。鮎川港は金華山への渡し口として参詣客でにぎわった。また慶安元年には地内に唐船番所が黒船監視のため開設された。伊沢郡前沢村(岩手県)・桃生【ものう】郡成田村・小船越村・高須賀村の4か村より輪番で足軽が2人ずつ詰めることになっていた。番所開設から91年後の元文4年5月23日,3隻の黒船が三陸沖を南下するのが目撃されただけという。明治4年廃止。その他屋寿計川淵には桐ノ井があり,藩公出番の節は,御前水として供されたという。「封内風土記」の戸口81,神社は牛頭天王社など9社,仏閣は薬師堂など4宇。「天保郷帳」の村高は87石余。明治元年高崎藩取締地,以後,桃生県・石巻県・登米【とめ】県・仙台県を経て,同5年宮城県に所属。同8年鮎川小学校創立,同10年大宗小学校の分教場となる。同22年牡鹿郡鮎川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7255290
最終更新日:2009-03-01




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