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- 荒町(近世~近代)とは
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荒町(近世~近代) 江戸期~昭和27年の町名江戸期は飯田城下の一町で,武家町明治8年飯田町,昭和12年からは飯田市飯田の通称町名飯田城の北,松尾町の北隣に並行する東西の竪町町名由来については,荒地に町ができたからとの説,城下町より新しいところから新町と称したとの説などがあるが,定かでない脇坂家中屋鋪分限録(矢沢氏蔵文書)によれば,京極高知の頃から建設が進められ,元和3年脇坂安元が入部の頃には,上荒町20戸・下荒町17戸の侍屋敷があった明暦3年幕府代官千村平右衛門が荒町の中部に陣屋を作り,以降屋敷町の面目が整った永禄8年島田村から本覚寺,天正10年松尾町から正念寺,慶長元年島田村から峰高寺,元和3年伊予大洲から来迎寺,寛永16年江戸町から真光寺を移転(伊那神社仏閣記),惣堀内,城下町外郭の防御が固められたなお江戸中期の儒者太宰春台は当町の出身昭和27年中央通り1~4丁目の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」