ケータイ辞書JLogosロゴ 飯野村(近世)


宮城県>河北町

 江戸期〜明治22年の村名。桃生郡のうち。地名の初見は,元和4年に刻まれ同村境に建立する板碑裏の碑文で「慶長十八年になりたやち,いいのやち,あいのやのやち右三ケ所をみたてきりをこさせ申し人,八嶋備前守おなじ右主膳正,備前守は元和四年五月二十日しきよ」とある。江戸期は山崎氏の采地で,41人の家臣が居住した。明和9年の戸口119。寺は曹洞宗青葉山光厳寺。雷電社は式内社飯野山神社の遺址という(封内風土記)。天保年間の村高は722石余(天保郷帳)。天保の飢饉による死者は,天保7年107,同8年198(光厳寺過去帳)。天保6年の米の値段は1切(1両の4分の1)につき2斗3升,同7年4升3合,同8年5升。天明飢饉後に建てられた備荒倉の慶応4年の貯籾は38石9斗6升(河北町誌)。明治元年高崎藩預り地となり,以後,桃生県・石巻県・登米【とめ】県・仙台県を経て同5年宮城県に所属。明治22年桃生郡大谷地村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7255330
最終更新日:2009-03-01




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