ケータイ辞書JLogosロゴ 泉沢村(近世)


宮城県>栗駒町

 江戸期〜明治8年の村名。栗原郡二迫のうち。藩政期小梁川氏の采邑(伊達世臣家譜)。安永元年の戸口13(封内風土記)。「元禄郷帳」の村高167石余,「天保郷帳」では209石余。長者原という地名があり,往古泉長者の住居跡と伝えている。鎮守は泉長者勧請といわれる深山権現社(封内風土記)があり,新山神社ともいう(栗原郡誌)。伝説によれば泉谷沢よりは泉酒が湧出していたという。長者には1人の娘があったが,毎日ふさぎこんでやつれていったため長者夫婦は鎮守新山神社に7日7夜の祈願をし,満願の夜,病気は妖蛇の変化のためであり,黒鉄の針で変化の衣服の裾を縫うべしとの神夢があり,若侍に変化した大蛇は黒鉄針で3針縫われ,現在の富野の鹿島沼に死骸となって浮かんだ。村人はここに蛇玉権現をまつったという。その後栗原館主栗原内膳なるものが娘との結婚を拒絶されたのを怒り,難題を突きつけ娘を奪おうとしたので長者一族は秋田に逃れたと伝えられる(栗駒町誌)。明治元年宇都宮藩取締地,以後,栗原県・胆沢【いさわ】県・一関県・水沢県・磐井【いわい】県に所属。同8年芋埣【いもぞね】村・渡丸【わたまる】村・嶺崎村3か村と合併,栗原郡宝来村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7255381
最終更新日:2009-03-01




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