ケータイ辞書JLogosロゴ 追入村(中世)


宮城県>河南町

鎌倉期に見える村名小田保のうち桃生【ものう】郡河南町に笈入【おいり】があり,この地に比定されている「吾妻鏡」仁治2年5月10日条に「紀伊五郎兵衛入道寂西と同七左衛門尉重綱と相論,陸奥国小田保,追入・若木両村御下知の事也」とある江合【えあい】川が旧北上川に合流する地点から約2km南方の北上川沿いにあるこの地は近代に至るまで北上川流域の遊水地で,耕地として安定しなかった紀伊氏はおそらく紀氏のことで,武蔵国品川郷に本拠を持ち,貞応2年6月20日付の関東下知状によれば陸奥国では長世保長於郷(志田郡松山町長尾)にも地頭職を有していた(田代文書/鎌遺3120)鳴瀬川沿いの長世保を足場に,北上川流域方面まで勢力を広げていたことがわかる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7255557
最終更新日:2009-03-01




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