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- 大柿村(近世)とは
「大柿村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 大柿村(近世) 江戸期~明治9年の村名菊池郡のうち菊池川上流の右岸段丘上に位置する熊本藩領天正17年の検地帳(県立図書館蔵文書)では,高117石うち田83石・畠34石,慶長9年の検地帳(同前)によれば,田の反別7町余・分米78石余,畠の反別5町4反余・分米38石余(居屋敷を含む)村高は,「寛永郷帳」117石,「正保郷帳」も同高でうち田78石余・畠38石余,「天保郷帳」117石余,「旧高旧領」120石余「肥後国誌」によれば河原手永に属し,高118石余文化・文政年間の河原手永手鑑によれば,高118石余,請免は55石余,竈数16・人数90,牛9・駄馬34(肥後藩の農村構造)文化13年竣工した古川井手の大柿分水所が中尾に設けられ,5尺1寸幅の大柿井手と4尺5寸幅の戸豊水井手が山を境にして分水され,うち大柿井手の流末は菊池川本流に注いだ(肥後藩農業水利史)氏神は大柿菅原神社棟札によれば,もと下鶴に鎮座,文政12年に現在地へ遷座した(菊池郡市神社誌)熊本県を経て,明治5年白川県に所属同9年大平村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大柿村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大柿村(近世) 江戸期~明治初年の村名播磨国美嚢【みなぎ】郡のうちもと豊臣氏蔵入地慶長5年姫路藩領,元和3年明石藩領,同7年幕府領,寛永16年備中国成羽藩領,同19年幕府領,正徳2年からは下野国壬生藩領村高は,「正保郷帳」258石余うち田227石余・畑30石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)「天保郷帳」「旧高旧領」ともに246石余神社は三坂神社・大日神社三坂神社の創立年月は不詳であるが,長保5年悪疫流行の時に冷泉家が再建,当時は細川荘大柿の簀子橋西南地にあったが,同地は浸水の憂いがあったため長享元年現在地に遷座したという明治初年豊地村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大柿村(近世) 江戸期~明治初期の村名中通り中部,阿武隈【あぶくま】山地南部の山麓地帯に位置する石川郡のうちはじめ会津領,寛永4年白河藩領,天和元年からは幕府領村高は,文禄3年の蒲生高目録では171石余,古領高長および「天保郷帳」ともに176石余,「旧高旧領」169石余年不詳だが,明治初期頃北向村と合併して小松原村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」