ケータイ辞書JLogosロゴ 大窪郷(中世)


宮城県>矢本町

 戦国期に見える郷名。深谷保のうち。矢本町大窪新山【しんざん】神社の慶長2年3月18日銘棟札に「奥州深井郡大窪郷」と見える。社殿造営の大檀那名に「信重・宗満」とある。信重はおそらく伊達家臣湯村右近信重で(矢本町史),天正19年に深谷保の領主長江月鑑斎勝景没落の後,一時伊達領深谷を総成敗した。新山神社の周辺には建治〜文安年間の板碑が11基あり,澗洞院【かんとういん】境内の文永の碑には「長江」,神社囲の正安2年板碑に「長江十郎」の名がある。すべて深谷の領主だった長江氏にかかわる。字中沢に長江氏没落とともに廃寺となった隆泉寺跡があり,付近に源平城・樋口館などもあった(古城書上)。なお,字寺沢の澗洞院には天正18年2月18日付の月寒(長江播磨守勝景入道月鑑斎)の書状といわれるものがあり,「大窪内西田千苅」と見える(矢本町史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7255591
最終更新日:2009-03-01




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