ケータイ辞書JLogosロゴ 大浜(近世)


宮城県>雄勝町

 江戸期〜明治22年の村名。桃生郡南方【みなみかた】代官区二十四村のうち。十五浜【じゆうごはま】の中の1漁村。寛永18年の村高5石余(宮城県史)。明和年間の戸口21。神社に石峰権現社・稲荷社・熊野神社がある。石峰権現社は往昔石上社といい祝部の社家があったと伝える。別当は市明院【いちみよういん】。堂宇に薬師堂があった。塩田があり,釜1区に潮水を汲み入れ一昼夜煮て塩を得たという(封内風土記)。明和4年山追いに来た藩主伊達重村が当村に宿泊の際,供回り総勢539人のうち242人が村内に分宿。着のみ着のまま宿泊したという(桃生郡拾五浜江御出駕に付下宿割人馬書出帳/雄勝町史)。天保5年の村高12石余(天保郷帳)。嘉永3年の村高19石余(うち畑代13石余),また給所は6石余,戸数は27で天保飢饉前と変わらなかった。馬2頭と船37隻を有し,産物はイワシ・マナガツオ・ナマコ(安永風土記)。その頃村内に御海鼠腸師【おこのわたし】が常駐しており,御切米金2両3人扶持をもらっていたという。御林16か銘89万坪余があり,村の杉林6か所,塩田1区,塩蔵1棟があり,修験の一明院のほか,石上神社・薬師堂があった。大乗神楽【だいじようかぐら】と呼ばれる法印神楽が伝承されていた(雄勝町千葉雪麿所蔵文書)。明治元年高崎藩取締地,以後,桃生県・石巻県・登米【とめ】県・仙台県を経て,同5年宮城県に所属。同3年の村高12石余(陸前国牡鹿郡桃生郡本吉郡郷村高帳/石巻市図書館蔵)。「挙村,漁業を専らにし,婦人は之を助」けていた(船越尋常高等小学校沿革誌/雄勝町史)。同6年頃の海産物の年産はタコ500枚・イワシ5,000籠・ノリ2,000枚・ムツ200籠。同10年の戸数30,男120・女102。契約講の神風講を結び,後年の大浜親和会に継承される。畑8町余と宅地1町余とが地租の対象となっていた。同17年雄勝浜ほか11か村連合戸長役場を当浜に置いた。同21年の戸数30・人口261。同22年桃生郡十五浜村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7255637
最終更新日:2009-03-01




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