ケータイ辞書JLogosロゴ 押分村(近世)


宮城県>岩沼市

 江戸期〜明治22年の村名。名取郡南方三十邑の1つ。岩沼に居館した古内氏(8,000石)の知行地。「元禄郷帳」の村高は304石余,のち新田開発が進み「天保郷帳」では1,189石余。「安永風土記」によれば,村高は田代30貫余・畑代10貫余で計40貫余(うち蔵入地12貫余・給所27貫余),人頭36・家数36・人口192・馬18。神社は神明宮・川口明神・稲荷明神社の3社。仏閣は阿弥陀堂。寺は相馬中村西光寺末浄土宗名取院玉光山円立寺。修験は本山派山伏小先多宝院。端郷に二ノ倉浜がある。村内には岩沼町へ通じる三間橋通,寺嶋村端郷蒲崎村へ通じる阿武隈川通という2筋の道があった。明治元年新仙台藩,同4年仙台県,同5年宮城県に所属。同22年名取郡玉浦村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7255733
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ