ケータイ辞書JLogosロゴ 加瀬村(近世)


宮城県>利府町

 江戸期〜明治22年の村名。宮城郡のうち。「元禄郷帳」の村高955石余,「天保郷帳」では1,307石余。「安永風土記」によれば,村高は田代108貫余・畑代20貫余で計129貫余(うち蔵入地102貫余・給所27貫余),人頭87(うち八幡町住居47・南町住居19・村住居21),家数92(うち借屋5),人口男225・女200で計425,馬93。当村内の南町1丁20間・八幡町2丁10間は,当郡利府【りふ】本郷・森郷と当村の3か村にまたがる宿場利府町の一部である。神社は神明社・稲荷社・荒神社・船岡明神社,仏閣は観音堂,寺は臨済宗の八幡山楊岐寺・亀嶋山天祥寺。楊岐寺は,宝永2年雲居和尚が開山。天祥寺は,縁起によれば承元2年,伊沢家景が天台宗亀島太白山増長寺と号し建立,家景の死後,加灘寺と改称,さらに政景の代に天祥寺と改称したという。2寺とも本山は宮城郡松島村の瑞巌寺。修験寺は当山派本覚院。古塚に十三塚と伝伊沢左近将監家景墓,名木に舟岡明神社と荒神社の杉,堤に加瀬堤・養助堤・小堤,堰に大堰・赤堰・源蔵堰があり,堤堰はいずれも当村一円用水。明治元年新仙台藩,以後仙台県を経て,同5年宮城県に所属。同22年宮城郡利府【りふ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7255877
最終更新日:2009-03-01




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