ケータイ辞書JLogosロゴ 川口村(近世)


宮城県>一迫町

 江戸期〜明治8年の村名。栗原郡一迫のうち。蔵入地と所拝領遠藤内匠1,333石余の給地。遠藤氏は侍屋敷60・足軽屋敷46・小人屋敷28軒をも合わせて拝領している。村高は「元禄郷帳」で1,034石余,「天保郷帳」では1,159石余。「安永風土記」によると村高は田代101貫余・畑代14貫余で計115貫余(うち蔵入地36貫余・給地79貫余),人頭は寛永検地の竿答百姓26から32に増加,家数38(うち名子1・借屋5)・人数167・馬数44。村内には真坂宿から花山村,あるいは鶯沢村細倉鉱山に至る街道が通っており,街道沿いの上町・中町・下町・新町・東町の5町から成る川口町と称する宿場があった(寛文4年取立て)。この宿場は遠藤内匠の拝領地で,新町は御小人町,東町は足軽町とも称した。神社は神明社など8社,仏閣は不動堂,寺は曹洞宗天王山洞林寺・浄土宗了智山法寿寺,修験は羽黒派万法院・羽黒派和光院。用水は砂押堤など17堤と川口堰より溜高48貫余分を引水している。産物には佳魚がある。明治元年宇都宮藩預り地,以後,栗原県・胆沢【いさわ】県・登米【とめ】県・一関県・水沢県・磐井【いわい】県に所属。同8年清水目【しずのめ】・嶋体【しまたい】両村と合併,金田村の一部となり,その後昭和30年現行の一迫町川口となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256019
最終更新日:2009-03-01




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