ケータイ辞書JLogosロゴ 十八成浜(近世)


宮城県>牡鹿町

 江戸期〜明治22年の村名。牡鹿【おしか】郡遠嶋十八成組大肝煎扱のうち。大肝煎居住の村。江戸期を通して藩蔵入地。元禄期の村の状況は「牡鹿郡万御改書上」によれば,村高140石余(元禄郷帳では121石余)・海上高40石余,人頭31・人数285(うち男156・女129)。十八成浜在家東西3丁22間・南北57間。村寺は曹洞宗大金山陽山寺で湊村梅渓寺末,明応年間に葛西清高の伯父に当たる陽山春公大居士が,湊村牧山の梅渓寺より分派開山した武士寺という。寺内には切腹の間や,首洗いの池まで配置された本格的な武士寺の様式を備えている。牡鹿町内最古の寺でもある。陽山寺境内には五智如来をまつってある。他に陽山寺支配の曹洞宗泉立寺,真言宗仙台竜宝寺末の宝成山東光院がある。「封内風土記」の戸口59,神社は神明宮など4社。「天保郷帳」の村高は148石余。明治元年高崎藩取締地,以後,桃生【ものう】県・石巻県・登米【とめ】県・仙台県を経て,同5年宮城県に所属。同22年牡鹿郡鮎川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256147
最終更新日:2009-03-01




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