ケータイ辞書JLogosロゴ 栗原村(近世)


宮城県>栗駒町

 江戸期〜明治22年の村名。栗原郡二迫のうち。一迫・二迫下郷大肝煎支配下,蔵入地と藩士の采地が複雑に入り組んでおり,安永元年の戸口70(封内風土記)。寛永18年検地の人頭44,安永7年の村高116貫余・人頭72・家数74・人口388・馬63(安永風土記)。「天保郷帳」の村高1,164石余。鎮守は薬師堂で真言宗医作山上品寺境内にある。この地は往古,36坊を擁したと伝え「吾妻鏡」建久元年3月10日条,および「義経記」に見える栗原寺の地と考えられている(封内名跡志)。また当村には「栗原八鹿踊」なる伝統芸能が伝承されており,そのいわれは以下のように伝えられている。明徳4年紀伊守円清なる者,和合院を開院,白馬山栗原寺の馬頭観音堂の別当となり祭典に田楽舞・児の舞を奉納した(羽黒派和合院)。ある時,円清,牡鹿郡黄金山神社に参詣,雄鹿・雌鹿の群れ遊ぶのを見て鹿獅子舞を振りつけ社前に奉納した。のち真坂の領主白河公の御抱獅子舞となり九曜の星の紋所の使用を許され,豊作祈願・疫病退散のため盛んに舞われるようになった(栗駒町誌)。明治元年,宇都宮藩取締地,以後,栗原県・胆沢【いさわ】県・一関県・水沢県・磐井【いわい】県を経て,同9年宮城県に所属。その間,同8年郡村分合に際し菱沼村を合併。同22年栗原郡尾松村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256170
最終更新日:2009-03-01




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