ケータイ辞書JLogosロゴ 桑浜(近世)


宮城県>雄勝町

 江戸期〜明治22年の村名。桃生郡南方【みなみかた】代官区二十四村のうち。十五浜【じゆうごはま】の中の1漁村。寛永18年の村高なし(宮城県史)。明和年間の戸口27。神社に白金明神社と神明宮があった(封内風土記)。嘉永3年の戸数25。天保飢饉前は30戸あったという(安永風土記)。村高は1石に満たなかった。産物はタコ・フノリ・アワビ。合木船【がつきぶね】20・早波船3を所有。村内に紀伊中納言と伊達政宗の署名文書なるものがあって鯨漁の免許状と伝えている(雄勝町今野吉三郎蔵/雄勝町史)。桑浜では鯨の解体処理も行われていた(雄勝町史)。御林が6か銘21万9,000坪余あり,村の杉林が5か所あった(安永風土記)。明治元年高崎藩取締地,以後,桃生県・石巻県・登米【とめ】県・仙台県を経て,同5年宮城県に所属。この頃「村をあげて漁猟を業とし,女は大抵捕魚採藻,男子の業を助」けていた(船越尋常高等小学校沿革誌/雄勝町史)。同6年頃の年生産高はアワビ700貫・タコ5,000枚・ノリ8,000枚・ホソメ3,000貫・タラ800本。戸数は29戸で男86・女91。50石未満の和船35隻を所有していた。村民は熊沢契約講を結び昭和年代まで継続している。同22年桃生郡十五浜村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256196
最終更新日:2009-03-01




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