ケータイ辞書JLogosロゴ 高屋村(近世)


宮城県>亘理町

 江戸期〜明治22年の村名。亘理郡のうち。亘理館主伊達氏の知行地。村高は,「元禄郷帳」601石余,「天保郷帳」では902石余。「封内風土記」の戸口46。「安永風土記」によれば田代79貫余・畑代5貫余,計85貫余,うち83貫余が給人地。人頭16,ほかに家中寺1,家中修験1,家数20(うち名子1・水呑3)・人口95・馬13,神社は村鎮守妙見社・八幡社,寺院には真言宗泉福寺,修験は本山派大泉院がある。端郷として江戸初期塩田が開かれた鳥屋崎浜がある。南の長瀞【ながとろ】村端郷長瀞浜と入会の小名柴町は亘理伊達氏の足軽町。明治2年端郷鳥屋崎浜とともに新南部氏領,以後,白石【しろいし】県・角田【かくだ】県・仙台県・宮城県・磐前【いわさき】県を経て,同9年宮城県に所属。明治18年の戸数98・人口586,馬46・舟46,産物はウナギ・ハマグリ・アサリ・米・大豆・ハゼ・粉藍(磐城国亘理郡地誌)。同22年亘理郡逢隈【おうくま】村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256240
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ