ケータイ辞書JLogosロゴ 最知村(近世)


宮城県>気仙沼市

江戸期〜明治8年の村名本吉【もとよし】郡北方大谷本郷のうち寛永18年仙台藩惣検地を受け最知村となる「封内風土記」の戸口78仙台藩直轄領初期には武藤孫四郎が平士として1,700石を領していた(安永風土記)「万治風土記」の人頭74・高28貫余「延享3年風土記」では人頭62・高28貫余・舟数31文政7年の諸役極帳では高28貫余「安永風土記」では高28貫余・人頭67・人数358・舟数35・馬58「天保郷帳」の村高285石余鎮守には愛宕神社・熊野神社・八幡宮寺院には曹洞宗太白山海蔵寺がある明治元年高崎藩取締地,以後,桃生【ものう】県・石巻県・登米【とめ】県・一関県・水沢県・磐井【いわい】県を経て,同9年宮城県に所属同8年波路上【はじかみ】村・長磯村・岩月村と合併,本吉郡階上【はしかみ】村の成立に伴いその一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256360
最終更新日:2009-03-01




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