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- 相模郷(古代)とは
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相模郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」甲斐国都留郡七郷の1つ高山寺本の訓は「左加无乃」比定地は,山梨県南都留郡秋山村・道志村付近説(甲斐名勝志),神奈川県津久井郡の諸村説(地名辞書)の2説がある「日本後紀」延暦16年3月2日条によれば,甲斐・相模両国が国界を争っていたが,「甲斐国都留郡□(都)留村東辺砥沢」を境として,以西を甲斐国,以東を相模国としたという「甲斐名勝志」は,国界となった「砥沢」を都留市戸沢に比定しており,道志・秋山両村は山を隔ててその東にあたる両地は相模国の所属となったが,のちに甲斐国に戻ったため,相模郷と号したというまた相模分に中川(現山北町中川)等の山村があるが,これを山相模と称するのは,もと道志・秋山等と1郷であったところ,のちに両分して相州の所属としたためであり,山相模は当郷名の遺称と推定している一方,「地名辞書」は「砥沢」を神奈川県津久井郡藤野町名倉の那倉沢とし,その以東,現在の津久井郡の諸村を当郷の比定地としているなお「和名抄」は旧籍によって甲斐国所属のままにしたものというまた国境線は桂川の本流域上に比定するのが妥当とも考えられるが(大月市史),詳細は不明 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」