ケータイ辞書JLogosロゴ 鮫浦(近世)


宮城県>牡鹿町

 江戸期〜明治22年の村名。牡鹿郡遠嶋十八成【くくなり】組大肝煎扱のうち。江戸期を通して藩蔵入地。元禄期の村の状況は「牡鹿郡万御改書上」によれば,村高24石余(元禄郷帳では19石余),人頭6,人数91(うち男53・女38),鮫浦在家東西1町20間・南北16間。肝煎治郎作。「安永風土記」によると,村高は田代2貫余・畑代364文で計2貫余,人頭は寛永検地の竿答百姓5から21,家数21・人数154(うち男81・女73)・馬21・船数34(うち四板舟1・小四板舟1・小舟8・さっぱ舟24)。塩焼場1,ただしこの時期には休釜になっている。神社は神明社など5社。釜ノ前に弘安4年10月の紀年銘のある板碑がある。女川【おながわ】町飯子浜【いいごのはま】への通路を花立坂と呼びその長さ2丁12間。「天保郷帳」の村高は24石余。明治元年高崎藩取締地,以後,桃生【ものう】県・石巻県・登米【とめ】県・仙台県を経て,同5年宮城県に所属。同22年牡鹿郡大原村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256432
最終更新日:2009-03-01




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