ケータイ辞書JLogosロゴ 鹿折村(近代)


宮城県>気仙沼市

 明治22年〜昭和26年の本吉郡の自治体名。明治22年市町村制施行により単独自治体になる。村役場は,西八幡前47に置かれ,その後44番地,さらに同35年字港28に移転。蔵底・浜・西八幡前・西中才・日の口・両沢・東中才・浪板・大浦・小々汐・梶ケ浦・鶴ケ浦の集落より成る。同34年の人口3,099・戸数412,同40年の人口3,275・戸数460,大正2年の人口3,387・戸数464,同9年の国勢調査の人口3,468・戸数554,昭和15年の人口5,656・戸数911,同22年人口6,572・戸数1,080。矢八幡と称する八幡神社が鎮座。同社の旧8月15日の祭典には御輿船がにぎやかな笛・太鼓の囃しで数十隻の機船に守護され湾内を渡った。寺は浄土宗東滝山浄念寺,曹洞宗拈華山興福寺がある。鹿折小学校は明治5年学制発布により浦島小学校として開校。同16年村の中央部に移転し鹿折小学校と改称。白山小学校は明治15年開設。鹿折中学校は新学制発布の昭和22年に開校。同7年国鉄大船渡【おおふなと】線鹿折駅・上鹿折駅が同時に開業。鹿折川流域を耕地とする農業および東西山地を中心とする林業,臨海地帯の沿岸漁業,養殖漁業が基幹産業で,林野面積は全面積の90%以上の広範囲にわたっていた。また村内には鹿折金山があり,この金山は平泉藤原時代の開山と伝え,明治期に入っても日産20貫の産出があったが,現在は閉山。昭和26年町制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256496
最終更新日:2009-03-01




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