ケータイ辞書JLogosロゴ 島田村(近世)


宮城県>角田市

 江戸期〜明治22年の村名。伊具郡東根のうち。仙台藩蔵入地と,在所拝領山家・桑島・目黒・荒井氏の給地。「元禄郷帳」の村高は1,249石余,「天保郷帳」では1,530石余。「安永風土記」によると,村高は田代132貫余・畑代19貫余(うち茶畑103文)で計151貫余,うち蔵入地30貫余・他は給地,人頭は寛永検地の竿答百姓85人から121人となる。家数127(うち名子4・水呑1・借屋1)・人頭565・馬数97。産物は桑・楮。神社は式内社と伝える村鎮守の日高社など7社。仏閣は毘沙門堂・阿弥陀堂。寺は正保元年開山と伝える天台宗弥陀山玉蔵院嶋田寺,浄土宗国平山称念寺。村内に伊達と相馬との合戦の際の陣場跡である江主内と称する地がある。用水は古堤・池田堤・大江堀より溜高122貫余を引水している。明治2年10月4〜9日にわたり南部氏支配に反対,戦乱による疲弊・凶作・困窮等が原因となり,当村より発頭人を出した百姓一揆が起き,伊具郡西根24か村,東根13か村が加わった。発頭人羽部周治実徳・佐藤重左衛門信明の頌徳碑が同19年に建てられた(伊具郡誌・百姓一揆総合年表)。明治元年新南部氏領,以後,白石【しろいし】県・角田【かくだ】県・仙台県・宮城県・磐前【いわさき】県を経て,同9年宮城県に所属。同22年伊具郡枝野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256531
最終更新日:2009-03-01




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