ケータイ辞書JLogosロゴ 清水田浜(近世)


宮城県>牡鹿町

 江戸期〜明治22年の村名。牡鹿郡遠嶋狐崎組大肝煎扱いのうち。江戸期を通して藩蔵入地。元禄期の村の状況は,小網倉浜肝煎支配で,村高13石余(元禄郷帳では10石余)。人数は男24・女19で計43(牡鹿郡万御改書上)。享保検地でも村高は13石余と変わらず。「封内風土記」の戸口8,神社に熊野神社・鶏権現社がある。「天保郷帳」の村高15石余。慶長16年11月20日,伊達政宗の許可を得て,イスパニア使節セバスチャン・ビスカイノは仙台藩東部海岸の港湾調査中,この地にも寄港している。その「金銀島探険報告」にギンダヅとあるのは清水田のことと考えられている。ビスカイノはこの地をサリナスと命名している。明治元年高崎藩取締地,以後桃生【ものう】県・石巻県・登米【とめ】県・仙台県を経て,同5年宮城県に所属。この間,同7年以降数回小網倉浜と合併して小田浜と唱えたいと願い出たが許可がなかったという。同22年牡鹿郡大原村大字小網倉浜の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256538
最終更新日:2009-03-01




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