ケータイ辞書JLogosロゴ 十五浜村(近代)


宮城県>雄勝町

 明治22年〜昭和16年の桃生郡の自治体名。郡の東端にある漁村。名振・船越・大須・熊沢・桑沢・立浜・大浜・小島・明神・雄勝・水浜・分浜の12か村が合併して成立。大字は旧村名を継承,12大字を編成。雄勝に役場を置く。明治22年の戸数550・人口3,996。同29年津波が襲来,雄勝で波高4.6m,船越字荒【あら】で9m余を記録した。死亡者総数47・負傷者248・流出家屋143・全半壊118で,総戸数の39%が被害にあった。同23年特産の天然スレートが日本で初めて屋根材に使用され,特に赤煉瓦の高級建築に調和したため皇族の邸宅・東京駅・海軍省・司法省・陸軍参謀本部・日本銀行(一部)・兵庫県庁・長崎キリスト教会等の屋根に葺かれた。石盤の主産地でもあり,「スクールスレート」の名で全国の学童に使われ,一時インド・ビルマ・オーストラリア等を市場とし,雄勝産石盤は大正7年頃と昭和10年頃の宮城県輸出雑貨の王座を占めている。明治期の漁業は小型和船によるカツオ漁が主で,明治44年にはカツオ一本釣りの四板船【よいたぶね】が44あった。大正期にはカツオ漁船はすべて動力化し,大正4年に発動機船12となった。同年のカツオ生産高は16万5,000貫・カツオ節2万5,000貫でカツオ節は46%を県外へ出荷している。同年の戸数1,388・人口8,519。昭和初期は,数年間イワシ漁で各浜がにぎわい,名振・船越・大須・雄勝・分浜・水浜には漁業組合が揚繰【あぐり】網を経営した。イワシの漁肥・ガラ干・煮干等を生産し,雄勝には大量にイワシを処理するフィッシュ・ミール工場(十五浜魚糧株式会社)が設立された。しかし昭和8年頃から不振となり,地場産業の石盤・スレート瓦・硯等も経済不況のため衰微していった。同年,三陸地震津波が襲い,雄勝字船戸で波高5.5m,船越字荒で10.5mを記録。死亡合計68・負傷者42を出した。全壊家屋39・半壊81・流失128・床上浸水176で,総戸数の32.47%が被害にあっている。主な被害地は雄勝・名振・船越で,特に船越の荒では59名の死者を出し悲惨をきわめた。同10年津波防止のため被害地の家屋を移転,海岸線の補強工事を完了した。昭和期の主産業はカツオ漁で,漁船が大型化し少数の漁業資本家による寡占化が進んだ。昭和5年の遠洋漁船は20隻で大正期の半数に減少,逆に1隻当たり平均トン数が1.8倍となっている。同14年にはさらに16隻に減じ,平均トン数は82tで大正期の6倍となった。98tの桃丸などは建造当時県下でも最優秀の新鋭船だったという。同年の村生産高は233万7,000円,うち1位は遠洋漁獲物で85万円余(水揚げ102万貫),次いで沿岸漁獲物47万円・水産製造物34万円。石盤は24万8,000円(300万枚)・硯10万6,000円(83万枚)である。同年の人口9,845で,男5,052・女4,793。戸数1,474,うち雄勝の戸数が29.8%を占めている。水産業が774戸・鉱業243・工業134。自動車5・自転車223・荷車24・漁船45・運送船12があった。同16年町制をしき雄勝町と改称(産業統計調査・雄勝町史・町勢要覧)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256592
最終更新日:2009-03-01




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